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 第1章 琥珀色の地図 【祭りの夜】

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 『竜のパイプ亭』はミスティリアで1番大きな酒場だ。ゆえに祭りの夜ともなれば人で溢れかえるのも無理はない。
 少々荒っぽいが気の好い男たち。そんな男たちを影で支える、世渡り上手で気立てのいい美しい女たち。
 誰も彼もが明るく陽気で、ミスティリアの繁栄を誰ひとり信じて疑わない。
 彼らが集う店は、だからいつも活気に満ち満ちている。
「ダメだってッ。俺、そんなに酒強くないんだから。姉さんに怒られるよ」
 ゴブレットに注がれた火酒に、エースは大仰に手を振ってみせた。
「心配はいらん」
 街で1番の力自慢ダインが軽く請け負う。
「火酒なんぞ大したことあるか。まあ飲め、飲め」
「昨年も同じこと言ったぞ、おっさん!」
「昨年も同じことを聞いたぞクソガキ。いいからグダグダ言わずに飲め」
 ダインの手がゴブレットを持ちグイとエースの口許へ差し出したところで、すかさず後ろから少年を押さえつけようとする手が伸びてくる。
 慌ててエースはそこかしこから伸ばされた手を振り払った。
「わーッ、飲む! 飲むから無茶すんなよッ」
 黙ってされるがままになっていたら、上から酒を浴びせ飲まされるに違いない。
 焦るエースの様子に、また男たちの豪快な笑い声が沸き起こった。
「わはははは! いい心掛けだぞボウズ」
「一気に飲み干せよエース。でなきゃもう1杯飲ませるぞ」
「子供になにをやらせるの!?」
「エース、無理はしないのよ?」
 囃し立てる男たちを女たちがたしなめる。しかしながら、祭りの夜は無礼講との空気もあって、本気で止めに入ろうとする者はいない。
 限度を過ぎるのでなければやりたいようにやらせる。それが祭りの夜の楽しみ方なのだ。
 こうなると分かって来ているのだから、エースにしても文句の言えた義理ではない。
 夜の街を遊び歩く楽しみ。酒に浮かれる大人たちの世界へほんの少し足を踏み入れる楽しみ。
 好奇心を満たす誘惑は街のそこかしこに溢れ、けれどそれも今夜が最後なのだ。
 祭りが終わる。終わってしまう。
 あとほんの数時間で。
 エースは眼前に迫る火酒に、緊張のためゴクリと咽喉を鳴らした。
 酒の楽しみ方など知らないエースだが、飲めないというわけではない。
「飲むぞ!」
 大きくひと声宣言して、エースはゴブレットを口に当てた。
 息を潜めて成り行きを見守る男たちや女たちの前で、一息に火酒をあおる。
 芳醇な甘味。僅かの苦味。
 咽喉を過ぎると焼けるような熱さがくる。
 噎せそうになるのをなんとかこらえ、エースは火酒を飲み干していく。エースの咽喉が上下するたび、ゴブレットの中身はみるみる間に彼の細い身体の中に消えていった。
「はふぅ」
 息をつきドンとゴブレットをテーブルに置いたエースは、深呼吸を繰り返した後で空になったそれを「どうだ」とばかりに頭上へ掲げる。
 次の瞬間には「ワアァァッ!」と店を揺るがすほどの大歓声が沸き起こった。
「やるじゃないか、エース」
「いい飲みっぷりだ小僧。見直したぜ」
「よしエース、もう1杯だ。もう1杯飲んでいけ」
「はああ―――?」
 調子付いてかかる声と手から手へ渡ってくる火酒のつがれたゴブレットに、エースは思いっきり顔を顰める。
「一気に飲み干せたら1杯で終わりっつったろ!?」
「誰がそんなこと言った?」
「『飲み干せなきゃもう1杯』と言ったんだ。飲み干せたらご褒美にもう1杯」
「男なら断るんじゃないぞ。一息に飲め」
「えええぇぇぇ―――!?」
 なんでだよとエースは目を白黒させた。
 こんなことをやっている場合ではないのだ。
 そもそもエースがこの店に来た目的は別のところにある。
 頼まれごとを引き受けて来たのであって、決して酒を飲みに来たのではない。
「俺、俺、用があるんだよ」
「夜の酒場で酒を飲む意外になんの用があるってんだ!?」
「本当に用があるんだって。頼まれたんだよ。帰ってこないから見てきてくれって」
「誰が帰ってこないんだ?」
「レインとキャスとティム…………あああぁぁぁ―――!」
 エースは店の戸口を指差し叫び声をあげた。
 今まさに件の3人が、こっそりと店から出ようとしているところだ。
「ま、待てよ、お前らッ」
 それまでエース同様に掴まっていたのだろう3人は、新たな餌食を前にした大人たちの姿に、これ幸いと逃げる算段を企てたらしい。
「ちょ……ッ、待てって! おい!!」
 焦るエースの叫びにここで掴まったら元の木阿弥と、3人は苦笑とともに謝罪のポーズを残して、すたこらと店から夜の街に逃れていった。
 残されたエースの腕は力自慢のダインに掴まれている。ニタニタと上品ともいえない笑みをみせるダインの横からは、火酒のなみなみとつがれたゴブレットが差し出されていた。
「うわっ、置いてくなよ! キッタネー!!」
 とっくに見えなくなった3人の背に、エースは悲鳴とも似た罵声を叩きつけていた。


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